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2012/06/30

水とダイアモンド (21)出会い

7月2日から6日まで「いのちの水に感謝・水の祈り展」を八芳園で行います。
その間このブログはお休みさせていただきます。

多くの人達の援助で開催できます。
そして会場にわざわざ足を運んでくださるかたがたとの出会いをいまから楽しみにしています。作品の中の水達がさらさらと音を立てて流れているようにディスプレイすると、会場の気も気持のいい流れになるし、来ていただいた人達の内なる光が輝いて、ニコニコ笑顔で溢れます。

人の内なる光はダイアモンド。
そのダイアモンドにひそんでいる光の子供を喜ばせてあげるのです。
どんなに硬いダイアモンドでも「ありがとう」の言葉には、ついつい緩んでしまいます。
お客様に「ありがとう」の言葉をいただけるように気を配ります。それには美しい水の流れに力を借ります。
美しい水の流れはいのちの美しさに通じます。
それでは展覧会場でお目にかかりましょう。

2012/06/26

水とダイアモンド (20)チョッとブレイク

昨日横浜で「水とダイアモンド」のお話し会が催された。
多くの方々の大切な時間をいただいて、私の拙い話を聞いていただいたのだが、私が伝えたいことは何だと自問自答する機会だった。
そして整理できたことは・・・

ダイアモンドからは「私」という存在の意味について、即ち、
私の原点であるいのちについて正面から向き合って私といのちについて考えていただきたいと願って話をする。水からは「生きる」という意味について、即ち、生き方の手本としての水についてよく知っていただきたいと願って話をする。
という点が明らかになった。結論的にはダイアモンドからは永遠ないのちを、
水からはいま、ここに生きるを伝えること。
これからもこの二つについて気付いていただくお話し会にしたいと思う。


2012/06/23

水とダイアモンド (19)ダイヤの品質?

ダイアモンドの品質を表すものとして4C(キャラット・カラー・クラリティー・カット)が鑑定書に記載されています。
4Cが品質を表しているとする根拠はどこにもありません。
まずダイアモンドに品質を表示すること自体が不自然です。
自然界のものに品質という言葉はふさわしくありません。
大根に、石に、木に品質という言葉をつけることはおかしい思いませんか?
品質とは工場で大量生産されたものに品質を管理(クオリティー・コントロール)するということから生まれた言葉です。

ダイアモンドに良し悪しはありません。
ダイアモンドはどれも素晴らしいものです。
では4Cは何か?それはダイヤを流通させるために、
即ち価格を算出するための基準なのです。
あえてダイアモンドの価値を評価するとなると、
いかに美しい輝きであるかが表示されるといいですね。
何でも品質と価値と価格の整理が大切です。

2012/06/19

水とダイアモンド (18)ダイヤの輝き

ダイアモンドの美しい輝きは三つの光の調和によるものです。
一つの光はブリリアンシー・この光はカット面に当たった光が反射する、
即ち鏡に当たった光が反射するのと同じ原理です。
二つめの光はシンチレーション・この光は人の目が動く、
ダイヤが動く、光源が動くことによって生まれるきらめきです。  
三つめの光はファイヤー・この光は内部反射によって生まれる七色に変化するものです。

それらの三つの光が同時に強く放射されるので輝きとなって見えます。
またそれぞれの光がより強く、より多く、そして調和が取れていることで美しい輝きとなります。私はこの作用を音楽に例えてイメージします。
素晴らしい音楽はリズム・メロディー・ハーモニーが優れていて感動します。
また人の輝きとは叡智と品格と所作に裏付けされて現れてくるのではないだろうか?

2012/06/16

水とダイアモンド (17)美しいもの

7月2日からの水の祈り展に私からのメッセージをここで披露します。
このブログを書き進んできて、今回はそれを書くことが筋だと思われるからです。


生命の働きは動的バランスである。
自然は絶え間なく動き、それでいて秩序ある流れがいのちを支える。
それを最も良く表しているのが水の流れであり、
水は常に変化しながら全体として平衡を保っている。 

動き、流れ、環って、己を浄化する。
生命の躍動する姿(時の流れ)を見たいと願い、
川の源流でその姿を捉まえる。 

天・人・地の絶対的な瞬間(The Absolute Moment)に天然の美が宿る。
美は生に通じ、いのちは美しい。

2012/06/12

水とダイアモンド (16)美しさを創る

ダイアモンドの美しさを創りだすには、カット・研磨が必用です。

カットは切ることですが何処を残すかを決めて切ります。
研磨は少しずつ削りながら形を整え、最後に面を磨き上げます。
一般的には形を作り出すことに精を込めますが、
私共では原石に内在する光の子供を取り出すというイメージを大切にします。

即ち美しさの本質は既に原石の中にあると言うことです。
外見をつくることで美しさが現れるのではなく、
内なる物を取り出すということです。
結果として外見も美しい仕上がりになります。
絵画でも、彫刻でも形を整える前に、その石、その木にある聖なる物に向き合うことが大切だろう。
それは見えていないものです。
形だけにとらわれていると中身のない虚ろなものに仕上がります。

見えているものは見えていないものの力に支えられている。

2012/06/09

水とダイアモンド (15)美しい輝き

輝きは美しさである。
きれいと美しさにはわずかばかりの違いがある。
水をきれいと言うが美しいとは言わない。
しかし水の流れは美しいと言う。
同じように光はきれいと言い、輝きは美しいと言う。

そう考える美しいとは、そのものの本質とか、
そこからの作用が人に影響をもたらし感情を良い方に刺激した結果が、
きれいとの表現の違いになっているようだ。
それにプラスして美しいという言葉の内側にはその人の持つ品格をも伴っているようだ。
対象物を良く観察し、咀嚼して、その人の内なるものと共鳴したことが大きな要因になっているだろう。

ダイアモンドの美しさも物質的、物理的なきれいさに、関わる人の内なるものとの共鳴、共振に支えられている事を知っていてほしい。
そういう人達にこそダイアモンドを持ってもらいたいと願うのである。

2012/06/05

水とダイアモンド (14)輝き

水とダイアモンド、二つの物質を対比してこのブログを書いていますが、
この二つに私は人生の大半の時間を費やしてきました。
よく人から、「何か共通することがあるのですか?」と聞かれます。
私も15年程前まではそこに何か関連することがあるなど考えが及びもしていなかったのですが、それが大有りで、生き物に最も大切な「いのち」に両方が関わっていることに気付くのです。

いのちの根源的な物質である炭素が結晶したダイアモンド・いのちが生きていく上で絶対不可欠な水。
そしていのちが生きることはダイヤのように輝くこと。
いのちが永遠であることは水のように循環すること。等とこの二つの物質は根源的なところで大きき繋がっていたのです。そこに人が果たす役割として、
関わり方の価値が生じてきます。このように書きますと宗教的と言いますが、
それは宗教を間違って捉えている人の意見であって、
年齢を重ねてくると自然とこのような自然観・人生を見る世界観が変わってくるのです。だから歳をとることはとってもいいことなのです。

2012/06/02

水とダイアモンド (13)チョッとブレイク・光と輝き

昨日スイスから大切なメールが届いた。
内容をご披露しよう。

「重富氏の‘流水紋‘は自我を捨てて、
水の流れと同一化して生まれた玄風な作品。
楽聖なる水の歌曲を響かせながら、急拍子の所作する流れの主影を浮かばせているのは、水の記憶を宿しているからなのでしょう。
(人は水滴・神は水なり)の言葉を思い浮かべました」
節子・クロソフスカ・ド・ローラ

7月2日から行なう{いのちの水に感謝・水の祈り展}に寄せられた節子さんからのメッセージです。
この言葉遣いと、洗練された文章に節子さんの光が溢れんばかりに輝いて見えます。輝きとはこういうことではないでしょうか。