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2012/02/27

水 (14) 水鏡

鏡がまだなかった時代、自分を知る手段として、
水に映る姿で自分を確認した。
空気が澄んでいる今の時期、道路や田圃にある雨の溜まり水に映る月の輝きは特別なものを感じさせる。
美しさを超越して、何か厳かに内なるものに響いてくる。
人は古代からこの景色に震えてきたのだ。

また池の水に映る紅葉の美しさにも格別なものがあり、
時が流れて行く刹那を切なく感じさせる。
自然が自分達の美しさを自慢する為に水という特別の鏡を用意いているかのようです。
それらの美しさはよく澄んだ水によく映えます。
まるで水の精が周りの美しさで、自分磨きをしているかのようです。
同時に水が人の内なるものに大きく関わってきた事を知ることが出来ます。

Photo : Yu Nozaki

2012/02/24

水 (13) 涙

涙は本来、目の保護の為にあるのだが、
人間が生きていく上で大変重要な役割を持っている。
生きていると必ず出会う喜び、悲しみ、苦しみ、痛み、等の感情の高まりで、
涙袋から溢れてくる涙があります。多く泣くと鼻からも出てきます。

涙はその感情の高まりを安らかにしてくれる役割を持っているように思えます。よく「泣くだけ泣いたらすっきりした」という言葉を聞きます。
それは人間が生きていく上でメリハリをつけないと生きていけないと言うことではないだろうか。

即ち、いまを生きるための手段として身体が自ずから覚えていることなのでしょう。
そして涙を流した後の爽快感は魂の存在を感じさせてくれ、
浄化してくれる聖水のようにありがたく思います。
そう考えると、悲しい時の涙と、嬉しい時の涙は成分が違っているのかもしれない?

Photo : Yu Nozaki

2012/02/20

水 (12) 聖水

日本では禊に使う水、西洋では洗礼に使う水。
どちらも人類が生命の根源として、水を大切に思う気持の表れなのでしょう。

水には国境がない!
日本では産湯から始まり御宮参りから禊の聖水として、
年始のお屠蘇も神仏に供えるお水もまた別れの水盃と死に水など、
生と死を媒介する水は人生の主な舞台で登場する。

水はみずからを浄化し、他を生かす働きを行なってきた。ゆえに聖水である。
もうすぐ春が訪れる、「お水取り」の儀式が日本国に新しい命を授けてくれる。
水の国・日本の証明である。

2012/02/17

水 (11) 羊水

生命の故郷ともいえる羊水はどのように作られるのだろう?
生命が誕生してから出来るのか、
それとも女性の身体の中には生まれつきあるのだろうか?

その羊水の成分は太古の海水に近いらしい。
となると女性の身体は海を抱えている。 
羊水の中にいる生命体は浮いているのだろうか、
それとも浸かっているのだろうか?

私はプールで手足をひろげて水面に浮かんでいるのが好きでゆったり、
ぷかぷか、ぴちゃぴちゃの気分で、母の体内にいる気分を味わう。
しかし私は肺呼吸しているが、生命体はえら呼吸している。
その転換が「おぎゃ」という呼の吐く息、
そして次に地球の酸素を初めて吸う。

Photo : Yu Nozaki

2012/02/13

水(10)良い水

身体に良い水はどんな水ですかと聞かれますが、
私はそのほうを勉強していないので、美味しいと思う水ですと答えます。
あいまいな答えですが、多分あっていると思います。

日頃から飲みなれている水にありがとうと感謝して飲めば、
きっと身体を生かしてくれるでしょう。
水に意識することが大切のように思います。
飲む時、顔洗う時、風呂入る時、「ありがとう」と意識してみましょう。
水が喜んでくれることでしょう。

自然界と人は共存することがお互いのよろこびなら、
全ての自然物は「ありがとう」がわかるはずです。

2012/02/10

水(9)生水

生水と聞くと何か雑菌が沢山混入している水のように感じるでしょう。
しかし本当はこの生水こそが自然水で最も私達の身体にとってはいい水なのです。

人類が地中から湧き出てくる水を当たり前に飲み水として
飲んでいた頃の水なのですが、
ある時代から多分、自然界に薬品が使われだした頃から生水は飲むな、
良く沸騰させてから飲むようにと言われました。
それから生水は健康の敵となりました。

その結果、それまでは自然の水、植物から当たり前に摂取できていたミネラルが体内から不足するようになってきたのです。
現代でも各地に名水として大切にされているものがあります。
一部限定ですが、水道水にその生水を使っているところもあります。
それを当たり前に飲める人はうらやましいなぁと思います。

2012/02/06

水(8)池・沼

ここで言う池は湖ほどの大きさではない。
池や沼は人の住む近くにあってなんとなく薄気味悪い条件を持っている。
例えば河童や大蛇や大蛙などの主(ぬし)が棲みついている感じがする。
しかし子供心に冒険心があってその主を見たい、
あわよくば発見し摑まえたいと恐る恐る近づいたものだ。
それは今で言う里山の中にある。

近くの丘から雨水が流れ滲みこんだ溜まり場で、
お百姓さんたちが便利に使う水溜りだ。
そこには独特の世界がある。昆虫や鳥達の生存競争の場である。
即ち戦場なのだ。生きるために水場に集まる。
そこでいのちが生まれ、生きるために争い、屍から新たないのちが生まれる。
泥に埋まった水底でも死に物狂いの戦いが行なわれている。
表面が氷りついたいまでもその様子は変わらない。
それでこそ池や沼は生きている。

2012/02/03

水(7)霧(ダイヤモンドダスト)

空気中には見えてはいないが大量に水分が含まれています。
湿度計に何%で表示されますが、空気中に100%を超えると結露が生じます。

その水分が冷えて空気中に極小の水滴が浮かんで見えるのが
霧で周りの景色を閉ざしてしまいます。
それよりもっと冷えてー20度以下になると水蒸気が凍って、
太陽の光に屈折してきらきら見えるのがダイヤモンドダスト。
どちらも空気中の水の温度変化による現象です。
空気中にこの水分がなければ人は呼吸ができません。
また、人と人を想いで結んでくれる通信手段が空気中の水分です。

気持が伝わる、喜びが、悲しみが距離を隔てて伝わる。
「好き」という想いは空気中の水に伝わって届くのです。

Photo : Yu Nozaki