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2011/08/31

雲の役割


4年前太平洋を船で縦断した。
東京からオーストラリアまでの船旅である。

数日間見渡す限りの海に囲まれて乗ってる船がぽつんと浮かんでいる。
しかも海底まで数千メートルの深さだと聞かされると地球にどれだけの量の海水があるのだろうと驚かされる。それだけの莫大な量の海水がなければ、
地球の秩序が保てないのだと気付いた事を思い出す。

そこに太陽の熱が直接あたり膨大な量の水蒸気を巻き上げ、
天に数千メートルの見えない水のカーテンをつくる。
上空で冷やされ雲に変容する。

地球の表面の半分が常に雲で覆われていて各地に雨を降らす。
飛行機から雨が降っている所を目撃できるが雷小僧がジョーロで水を撒いているように見える。

また、雲と大地の関係は男と女の関係に思える。
雲が男で大地が女、雨を降らせて新しい命を生み育てる。
そのようにみると、自然界は新しい生命を産む、
性交のステージとして整えられているように思える。

豪雨の後、太陽に照らされ地上から蒸発していく水蒸気 写真:野崎 悠

2011/08/29

和紙と水


日本の文化に欠かせないものの一つに和紙がある。
書き残す材料として、物を包む材料として、形をつくる材料として、
また壁紙や障子紙として各地で生産されてきた。

パルプでつくる洋紙と違い繊維が長いので、
薄くても強く長持ちする特徴がある。
和紙の材料として楮・三椏・雁皮などが使われるが、
それらの材料もさることながら、水が重要な役割りをもっている。

水は和紙の質を左右するため職人さんは水質を大切にする。
それぞれが裏山から流れてくる伏流水を確保していて、
代々それを守り続けている。

カルシウム・マグネシウムを含まない軟水が柔らかい質感を表現でき、
また密度を高めるために水の温度も大切です。
水道に含まれる塩素は和紙独特の粘りが出ないので使われません。

人間国宝である岩野市兵衛さんが作った和紙は絹のような手触りで、
上品で品格が漂よってきます。
300年受け継がれてきた伝統の和紙は紙だけで芸術品です。

市兵衛さん曰く「水です。この水がなくなったら私の和紙作りはおしまいです」には水への愛着とこだわりの重みがあります。

2011/08/26

水臭い


日本には水がつく言葉が沢山ありますが、
外国にも水を使って意味を表すような言葉があるのだろうか?

「呼び水」「誘い水」「ちから水」「水を向ける」「水に流す」等
日常会話の中で慣用句として使っています。

それは日常生活の中に水が当たり前にあるからでしょう。
何か対象の物質として捉えるより、すぐ身近にあるものとして
「例えて言えば・・・」というような感覚で水を捉えているからだと思います。

日本の国土は約80%が森林地帯ですが、そこは水の保管場所なのです。
一本の木は200ℓ程の水を汲み上げています。(柳の木は夏の一日190ℓの水を吸い上げる)

吸い上げた水はその先端から大気に向って蒸気として放出しているのです。
消防のホースで汲み上げ、上空に放水しているようなものです。

そう考えると日本中が水浸しなのです。
「水の国・日本」の証明です。

そんな水の国で水のことをもっともらしく取り上げるのは水臭いことかも知れませんね。

2011/08/24

水商売


人と人を結ぶ場所には水がある。

昔は井戸端会議、現代はカフェ・パブ・喫茶店・クラブ等
コミュニケーションを円滑にしてくれるものに水があります。

日本の茶室はお茶を飲むためだけの空間ではなく、
あらゆる状況下でも静かに対座し、話をよい方に進めようとする空間である。
その空間は単純に簡素化され、主人と客の一期一会の場として、
コミュニケーションの極意を文化にまで深めたものです。

また日本にはお酒の文化があり、各地に点在する蔵元はその土地の水をどう活かすかと競っています。
お酒に使われる水は伏流水か地下水で、
その水源の確保が蔵元の生命線と最も大切にされている。

水を商いにするから水商売かと思われますが、
その語源は水が一時も安定していない、常に変化するというところから、
お客や売り上げが安定して見込めない職業を指して「水商売」と言われるようになったようです。

水を扱わない歌舞伎・相撲・タレント業も水商売の枠の中に入っていますが、歌舞伎の水際たった演技・相撲の水入り・タレントの水も滴るいい男とくるとそれらの職業も水とはしっかり関係があるようですね。

2011/08/23

聖水の汗


今年の夏にどれだけの汗をかいたことだろう。
人は体内の温度調整のため汗をかく。
汗の99%は水である。その汗が輝いて見える光景が最近あった。

なでしこジャパンのユニフォームから滴り落ちる汗の洪水を見て、
胸がしめつけられ、目頭が熱くなった。日頃の「汗を流す」努力と「手に汗を握る」接戦を勝ち抜いての「血と汗の結晶」としてワールドチャンピオンに輝いたのである。

3・11のアクシデントから沈みがちだった国民に大いなる希望と勇気をもたらした功績は国民栄誉賞の充分値するでしょう。

昨日同種の汗を見た。
知り合いのお嬢さんのバレエ「エスメラルダ」発表会に行った。
1年前から主役の抜擢を告げられ、その練習の成果を披露する場である。

舞台全体には多くのライトが当てられ当然熱い。
気分も高揚し、精神的なプレッシャーも極度に高い。
そういう状態で2時間という長丁場を見事に演じきって、
カーテンコールに答える笑顔は一段と美しく輝いていた。
舞台の各所で見せた溢れ流れる汗の一粒一粒が一年間の練習を乗り越えたご褒美として、私には聖水を浴びせられているように映った。

2011/08/20

森の真実を見る

久しぶりに川に行ってきた。
山に深く入っていく、木々の緑が生い茂り空さえ見えない。
そういうところは空気も爽やかで気持ちよく胸いっぱいの呼吸ができる。

道からかなり深いところに川の水が渦巻きながら流れて打楽器の音を響かせている。降りやすい所を見つけ道具一式を持って川まで降りて行く。
デッキチェアー・毛布・食料・お湯のポット・本を抱えてゆっくり降りる。

そこは小さい砂利で囲われた小さい滝壷。
3メートルほどの落差で落ちる水の音は周りのどんな音も吸収して、
耳を独占する。デッキチェアーに横になり好き勝手な時間を過ごす。
上を見上げると、大小、さまざまな木々が思い思いの枝振りで伸びている。

一つ一つの枝が見事なシルエットを見せて飽きさせない。
大きな岩を大地代わりにして、根を張って見事に成長している木がある。
大木の太い枝が折れ、川の水を堰き止めているが、
その隙間から勢い良く流れている水からエネルギーを感じる。
自然界の素晴らしい生業を目の前に見て、美しいとしか表現できない。
水も木も鳥達も飽きることなく真実を行なっている。

川面を伝って流れてくる風は清涼で、30分も吹かれていると寒くなり、
毛布を被らなければならない。
風さえも風の真実を行なっている。
それらの水や木や鳥や風が今日の森を生かし、
10年後50年後の森を育てている。


写真 重富 豪 

2011/08/15

水とダイアモンド


全く関係ない物質ですが、面白い関係があるのです。

以前にも書いたことがあるが、水はあらゆる物に深く浸透して、
その物質を変化、変容させるが、地球上で唯一水を内包しないもの、
それがダイアモンドです。

ダイアモンドの結晶の密さが壊れない理由の第一ですが、
水を受け付けないものが「永遠」と言う時の極を表し、
水そのものが「刹那」と言う時の極を表すとは面白いと対比だと思います。

私の仕事であるダイアモンドをカットした後、
油と汚れにまみれたダイアモンドを洗浄するために塩酸を沸騰させた中に入れますが、それでもダイアモンドはまったく影響受けません。

水は生き物達の命を生かしますが、
その命の源になっているのがダイアモンドと同じ炭素です。

炭素は生命の根源的な物質です。
また生き物達の生命活動は分子レベルでは水の中でしか行なわれません。
その両方が生きる時の両極にある。

自然界は不思議で溢れています。
またすべてが関連しあってつながっています。
水は水の真実を行なっています。
人は人の真実を行なっているのだろうか?
人の真実って・・・?












ダイアモンドの原石

水が時を連れてやってくる


時は流れるというが時はどのように流れているのだろうと18歳の時、
疑問に思って始めた流水紋だが、何故時が水かと言うと、
時は地球上の物質が変化・変容することで、その変化・変容する原因として水が大きく関わっているとすれば、水の流れる様子それが時の流れに相応するのではと40歳の時に気付いた。
それから約20数年も川に通いつめた。

友人から永く続くね。何が面白いの?と良く聞かれるが、とにかく面白い!
何がと言われると、同じことがない。毎回違う。そうでなければ時にならない。

時は同じ時はないはず。常に刹那、刹那で変化している。
その原因が水なのだから、水も同じ状態の水はない。それが面白い。
変化は成長につながる。

「大いなる目覚め」

大氣が動き風になる
雲を呼んで水が生まれる
水が流れて時になる
時が巡って美を創る
美がいのちに煌いて
内なる光が目覚めます

水・時を意識して生活するとゆとりが出てきます。
仕事と生活を整理することも大切な事ですね。

2011/08/10

西洋の噴水・日本のしし脅し


水の文化は世界の各国でそれぞれに育まれてきた。
西洋と日本の二点で対比することではないが、一つの面白い見方ができる。

西洋は水を溜める。
日本は水を流す。

その違いが形として表れているのが噴水と、しし脅しではないだろうか?

ローマ時代の水道敷設の途中で水を溜め、
吹き上げる噴水と見事な彫刻を施した噴水広場は都市の形成になくてはならないものにまでに完成された。
それらの遺産を今でもヨーロッパの街角に多く見ることができる。

一方日本では水は溜めるより、流れるもので、
流れの途中で趣を凝らすことを考えた。
その一つのしし脅しは当初、田畑を横切って流れる小川に作物の害虫や鳥獣を脅かして遠ざけるために仕掛けられたものであったが、
その後日本庭園や風流好みの邸宅にも施されるようになった。

しし脅しが日本文化の象徴的なものにまで発展してきた理由には時と間と音の微妙なバランスが日本人の深層にあるはかなさ、
もののあわれに響いたのではないだろうか。

水が流れて竹筒に少しずつ溜まる、
もうこらえきれなくなる緊張から一気に水が放出され、
乾いた音が静かな空間を切り裂く。
この緊張と解放の繰り返しがむなしく流れていく時を動的に感じさせる見事な演出方法である。

時には音はないが、その音を聞きたいと、
まだかまだかと待っている間(ま)の面白さがなんともいい。

2011/08/09

瑞穂の国・日本


古事記と並んで日本歴史書として「日本書紀」がある。
その中に「豊葦原千五百秋瑞穂国」(とよあしはらのちいほあきのみずほのくに)と記されています。
これは神話の世界で高天原と黄泉の国の中間に位置する国として日本国を表したものです。神々が住む高天原に対し人間が住む場所としてそのように記されているのだが、どういう国かと言うと、「豊かに葦が生い茂り、幾久しく瑞々しい稲穂が実るところ」なのです。

葦が生い茂る、稲穂が実るところは水の存在が絶対条件で、
水が豊かな国という意味なのです。

「水の国・日本」は神話の時からつくられていたのです。
農耕民族にとって水は不可欠のもの。当然のことのように水に祈り、
願う行為は「水神」を生み、更に水神は「田ノ神」・「山ノ神」
と結びつき庶民信仰の対象となりました。

また河童・蛇・龍が水神の使いとして登場し、
そのものが神となっています。

若い人達に人気のある龍は川を流れる水の勢いを渦巻きや跳躍やうねりを龍に例えて表したもので、水の有する生命エネルギーの表現でもあります。

2011/08/07

滝に打たれる

日本の山は急峻だから川の途中に必ずと言ってよいほど滝がある。
滝に入ったことありますか・・・?

落差の強弱によって感じ方は違うのだが、
小さいところでも頭に受ける衝撃で首が前に折れるようです。
落差が大きいと腰に膝に衝撃がきて、
大きく足を踏ん張っていなければ立っておれないほどです。
即ち、水の落ちる衝撃に打たれるのです。

4~5分も打たれていると全身が冷え切ってガタガタと震えがきます。
いったん出て休んでいると、また入りたくなります。これが不思議ですね。
爽快感、充実感を伴って生命力が根底から呼び起こされる感覚になるのは何故なのだろう。

私は母が12月から2月の3ヶ月間水垢離(みずごり)をしていたことを思い起こします。
冬の井戸水は暖かいから、前夜から盥に水を汲み置きしていて、
翌朝に氷っている水をかぶるのです。
幼いながらに何故そのようなことをするのかと聞いたことがあります。

今となっては明確な言葉は覚えていないが、
兄の身体が弱く毎月のように高熱を出して苦しんでいるのは、
自分の中にある「業」が原因である。
それを取り除くために行うと言うのである。

子供心に意味不明のまま、そんなものかと思っていたが、
大人になって気付いたことは、これが「禊」なんだと、
そして水は人の内面にまで浸透して因縁による災いさえも打ち砕いてくれるほどの力を持っているのかと強く感じたことを思い出す。

「業」についてはウィキぺディアを参照

2011/08/03

谷神は死なず

 「谷神は死なず」

これはタオの言葉の中にある一節。
タオの働きをよく表すものとして水が挙げられている。

谷はその水が湧き出てくるところ。即ち、
命の源だから永遠に死なないと言っている。

最近若者の間でパワースポットに人気があるが、
何をもってパワーがあるとするのだろう?
怖い・呪い・怪奇な雰囲気に人気があるという???

一時期川や滝にマイナスイオンを求めて行ったが、
まだその方が理にかなっているように思える。

私が30年間川に入って水と戯れてきた経験からすると、
谷こそ最高のパワースポットだと推薦したい。

山に降った雨が山の傾斜に沿って流れてくるところ、
山の土石の中にしみこんだ水が腐葉土によって濾過され、
しかも養分をしっかり溜め込み湧き出てくる谷には生まれたての水の力で溢れている。

そこで私は作品をつくるのだが、そこに3~4時間いると爽快な気分と、
身体の内側から湧き上がるエネルギーを感じることができる。
その実感があるため、夏はその谷に昼寝をしに行く。
川の流れの中にデッキチェアーを置き本を読み、コーヒーとケーキを食べ、
昼寝をして帰ってくるだけだが、爽快感と充実感に満たされる。

背中を水が流れ、常に風が吹きぬけているから真夏でも寒いほどである。
また裸足で川に浸かり、くるぶしをまつわりつきながら流れる感触を味わうと若返りのエネルギーを実感できます。
是非この夏行ってみる価値あるパワースポット、それは谷です。

2011/08/01

「水の日」は水のことを考えよう

8月1日は「水の日」と制定されているが、
どれだけの国民がこの日を意識しているのだろう?

水を大切に、水を汚さないようにと言う言葉は多く耳に目にするようになっているが、現実にどのように切羽詰った状態なのかが理解されていないようである。

私の展覧会でも水はいくらでもあるじゃないですか、
豪雨における被害があるくらい水はありますよと言う人達が多いのです。
それは水も空気も目の前に当たり前にあるから現実的に不足しているとは思えないのです。

砂漠で残り少なくなった水筒の水。
放射能で汚染された飲み水。等の危機的状態での水のありがたさを実態験しなければわからないことかもしれない。

現代人は今に生きているから、今のことが当たり前である。
その人達にも昔と比較させることで理解させることが出来るのではないだろうか。

日本の70年前と現在の人口は約2倍に増えている。
しかし水の量は70年と同じである。とすると単純に水が不足する。
一人一人が水洗便所で水を流す。
お風呂も、洗濯機も・・・昔は一人一人ではなかった。

しかも工業の発展で工場で使う水の量も莫大に増えている。
同様に化学物質による水の汚染が増大し、きれいな水が少なくなっている。

使う人は多くなり、使える水の量は増えないということが理解できない状態では節水に結びつかない。

ちなみに地球は水の惑星と言われているが、そのほとんどが海水で、
人類が使える淡水は2.5%しかない。
しかも地下水や氷になっているものを差し引けば、
地球上の水のわずか0.01%しか使えない。
それだけの水で地球上のすべての生きもの達の命をまかなっているのです。